
上田の10 Years Project
知的財産部 部長
1998年入社
個性を尊重し、多様性を育む。
だからこそ、イノベーションが生まれる。
1998年に入社後、光学材料の研究開発に従事。その後、2004年にディスプレイ材料開発に異動。当時、工場が設立したばかりの韓国に駐在し、工場立ち上げと技術営業を担当。管理職へ昇格した2011年には、石油化学系のエラストマー材料開発へ異動。2018年以降はセンサーやモバイル用の材料、ディスプレイ材料の開発に従事し、2024年からは知的財産部の部長として知的財産の管理に携わっている。
My 10 Years
まだ世に無い、
新しいものを作りたい。
20年も前のことなので、正直うろ覚えなのですが(笑)。当時、大学院で研究していた私が就職活動で大切にしていたことは、「まだ世に無い新しいものを作りたい」ということ一つ。数ある企業の中で、たまたま手に取ったJSRの紹介パンフレットに、「合成ゴムでNo.1」ということが書かれていました。「ナンバーワンの会社なら、技術力もあり、環境も整っていて、新しいものを作れるはずだ」という単純かつ明解な考えから、入社を決めました。また、今ではジョブローテーションという言葉は一般化されていますが、当時からCDP制度という形で幅広いキャリア形成を打ち出している会社は、非常に珍しかったと思います。それも、JSRに決めた理由の一つだったと記憶しています。

他社が出せなかった特性を、半年間で実現。
世界的ヒット商品の一翼を担った。
企業で研究開発を担う私たちにとって、大きなモチベーションとなるのは、開発した製品が世の中に新しい価値を提供することです。私にも印象的なエピソードがあります。私が日本でディスプレイの材料開発を行っていた頃の話です。ある会社が新しいコンセプトで発売するデバイスの材料が、他社でどうしても目標の特性が出ずに、発売が延期になっていました。そこでJSRにもオファーがあったのです。テーマ自体が、私の担当領域だったので、思いつく可能性があるものをしらみつぶしに試験し評価していきました。結果的には苦労の甲斐あって、半年後に目標の特性を実現。その製品は世界中で発売され、大ヒット商品になりました。この時は、企業で研究開発を行う醍醐味を感じましたね。

設立当初の韓国工場へ。
文化の違いに驚かされた。
2006年、韓国に設立された当社グループ会社のJSR Micro Korea(JMK)で、半年間の駐在を経験しました。私も工場立ち上げから技術営業まで幅広い業務に携わりました。私にとっては初めての海外駐在ということもあり、その文化の違いに驚かされました。当時担当していた韓国ユーザーは、日本のユーザーとはスピード感が異なり、当時のJMKではまだ研究開発の環境が整っていなかったため、打ち合わせ後直ぐに日本と電話会議したりと、そのタイムラグを埋めるのに大変苦労しましたね。しかし、グローバル市場で勝負する上で、そのスピード感は非常に良い経験となりました。また、韓国人はお酒の席をすごく大切にし、何せ強い。「チング(仲間)!チング!」といって、みんなで肩を組んで飲み明かしたらしいのですが、詳しくはその当時から記憶にありません(笑)

知識やスキルに磨きをかける環境が
新たな道を拓く礎となる。
CDP制度は、組織内の人的交流にも一役買っています。多様な知識や経験を持つ社員が同じテーマに挑むことで、互いの成長を促し、多角的に検討する力を養える。個性を尊重し、多様性を育む環境が、JSRのイノベーションに繋がっていると確信しています。入社以来26年にわたり携わっていた研究開発の部門を離れ、2024年に知的財産部へ異動しました。メインとなる業務は、開発方針や事業方針にもとづいた知財戦略を立案し、出願・権利化・ライセンス交渉を行うこと。これまでとは異なる知識やスキルが必要なため、正直戸惑うことも多いですね。けれども、一つひとつの業務をクリアすることで、知識や経験の幅が広がっていることを実感できています。今後も専門的な知識をより広げ、深めながら、キャリアアップを図っていきたい。そして、リタイア後も何らかの形で社会に貢献できるスキルを身につけたい。幾つになっても将来の可能性を広げられることもJSRだからこそだと思います。