interview 研究派遣制度

世界中の研究者たちが集うMITで切磋琢磨した経験が、視野を大きく広げてくれた。下村宏臣 Hiroomi Shimomura 研究開発 1998年入社/工学部 合成化学工学科 分子化学専攻修了

最先端と言われる大学に行ってみたい

 研究派遣制度を知ったのは入社2年目の頃。研究所の先輩が制度を利用して海外の大学に行ったことを伝え聞き、自分も行ってみたいと考えるようになりました。
 実現に向けて動き出したのはそれから5年が過ぎた入社7年目のこと。上司に相談したところ、「やってみろ」という言葉をいただき、応募を決意。応募するにはまずどのような研究を行うのかについて、経営陣へのプロポーザルのためのレポートを作成します。将来に向けてJSRに必要な技術的要素とは何か、あるいは現在のJSRに不足している技術とは何なのか。自分にとって、それまで、考えたことがないことでした。
 テーマを考えるためには、何をすべきかすら見当がつかず、まずは図書館にある「未来材料」や「機能化学」などの雑誌や、専門分野外のさまざまな本を読んでみることから始めました。すると自分の専門分野という枠を越えて、今まで見えていなかった、世の中の技術の動向やトレンドなどが見えてくるようになりました。
 今思えば、研究派遣に応募したことで、JSRがやるべきことは何なのかということを、広い視野をもって改めて考えることができたのは、実りある経験になったにように感じます。

ついに米国の地に。そして、MITの研究室

 テーマ探しにおよそ半年(就業時間は除く)を費やし、レポートを書き上げたものの、上司に突き返されました。理由は具体性の欠如。面白いだけでは駄目で、そこにどれだけの事業性が見込めるのかという点が欠けていました。その点を踏まえ、同一のテーマをJSRの事業分野への展開という観点で捉え直した修正版を1ヶ月後に提出し、ようやく承認を得て研究派遣が決まりました。
 つぎは、派遣先探しです。実は派遣先はあらかじめ決められているわけではなく、自分で探す必要があるのです。まずは国内の著名な教授などに、どの大学・研究室が良いのか、意見を聞いて回り、数件をリストアップ。ちょうどその頃、米国の学会へ参加する機会があり、その足で2週間ほどのアメリカに滞在し、派遣先候補の研究室を訪問して、行き先を決定することとなりました。当時の英語力は、読み書きはある程度できるものの会話は苦手でした。事前に作ってきた英文のレジュメを介して意思疎通をするようなありさまでしたが、それでも地道にリストアップした研究室を訪問して回りました。
 そこで、2年間の研究派遣先として選んだのがマサチューセッツ工科大学(MIT)。大学の教授からのアドバイスであった「有名な大学の方がいろんな情報が集まりやすい」という点と「優秀な研究者がどんなやり方をしているのか見てみたい、一緒に研究をしたい」というのが選定のポイントになりました。

自分から動かなければ何も始まらない

 MITへの研究派遣は初日であってもなんの特別扱いもありませんでした。自己紹介をさせてもらう機会さえなく、指導してくれる人もいません。自分から積極的に働きかけていかなければ何も始まらないのです。
 さらに、会社からも研究テーマの承認を得ただけで、具体的な目標が課せられるわけではありません。つまり自分で最終的な目標を設定し、それを達成するというプロセスを含め、全てが目標となりました。
 そこで私は自分なりの目標を3つ設定しました、1つは研究成果を上げること(論文を書き上ること)、もう1つは社外の人脈を広げること、3つ目は英語力を身につけるということ。
 私が掲げた研究のテーマは「自己組織化膜」。その実験をするための準備を始めましたが、そこで意外な壁が立ちはだかることに。実験に必要な、機器の操作には、機器使用のライセンスを取得しなければなりません。私はこの段階で躓いてしまったのです。
 ライセンス取得は、講習会へ参加し、実技の試験を受けます。その当時は英語の聞き取りに慣れておらず、分かってないのに分かっているフリをしてしまったのが試験担当の心証を悪くしたのか、通常2日間程度で取得できる試験に1ヶ月も掛かってしまいました。当時の自分は、研究者としてのキャリアも積んでおり、それなりプライドをもっていましたから、その一件では非常に悔しい思いをしたことを覚えています。

言語の違い以上に大きい文化の違い

 研究室の人数は10名程度で、20代半ばの学生がほとんどでした。私は研究室のメンバーと仲良くなりたいと思い、積極的にメンバーを誘って、多いときは週2回の頻度で飲みに出掛けました。徐々に仲良くなることができ、それと同時に当時の私の年齢は三十代半ばで、10歳も年下にも拘わらず彼らが、旺盛な自立心を持ち、予想以上にしっかりとした考え方をもっていることに驚きました。
 また言語の違い以上に痛感したのが文化の違いです。当初、意思疎通ができないのは言語が違うからだと考えていたのですが、それは思い違いで、原因は文化の違いが大きく影響しているのです。
 あるとき教授が「うまくいっているか?」と私に聞いてきました。その時私は正直に「あまりうまくいってません」と答えました。ほどなく、その会話の内容を漏れ聞いた学生が、「うまくいっていないってどういうことだ? 先生が心配していたぞ」と声を掛けてきたのです。さらに「君は一生懸命やっている。だからうまくいかないのは君のせいじゃない。君の言ったことは『ハラキリ』のようなものだ」と。つまり「潔さ」は、彼らにとっては「自虐」として捉えられてしまうのです。
 このような経験をしたためか、研究派遣から戻ってきて、コミュニケーションに対する考え方が変わったかもしれません。「なんとなく分かってくれているだろう」ではなく、相手のことを分かろうとつとめること、そして自分のことをきちんと伝え知らせることを大切に考えるようになりました。良いかどうかは別に、これも研究派遣で得たものといえます。

刺激に満ちた研究派遣。可能ならもう一度、挑戦してみたい

 研究は序盤で手間取り、周囲に比べて少し遅いスタートとなってしまいました。しかし、期間中に論文を書き上げたいと教授に伝えると、さまざまなアドバイスをいただくことができました。
 私が受け持つ研究テーマは私のほか1名で担当していました。メンバーとはオンタイムもプライベートも懇意に接することで徐々に密なコ・ワークをするこができ、2年間という限られた期間内に、目標であった論文を仕上げることができました。  その他の目標であった、英語力もTOEICで870点以上を獲得し、人脈もある程度は築けたかなと思っています。でも、まだまだ足りません。もっと研究の成果を出したかったし、もっと英語がうまくなりたかったし、もっと色んな人と仲良くなりたかった。叶わぬ希望ですが、もしもう一度行けるとしたら、JSRという会社から身分を保証されなくとも、1人の研究者として認めてもらえるような存在になっていたいと思っています。そのためには専門知識はもちろん、相手にいかに必要性を感じてもらえるかということ、それは知識・スキル全般に加えコミュニケーション能力やマネジメント能力であると思っています。研究派遣から戻って1年。MIT学生たちと切磋琢磨した記憶を思い出し、さらなる精進をしたいと思っています。

※上記のインタビューの内容は2009年10月の取材時点ものです。

pagetop